平成14年度研修旅行 (平成15年2月23日〜26日 開催)
 平成15年2月23日から26日までの3泊4日で、山口県岩国市の「錦帯橋架け替え工事視察」と福岡県大牟田市の「ごみリサイクル発電所視察」をメインに視察研修を行いました。
【1日目〜広島平和記念公園視察研修】
 1日目は、広島平和記念公園・原爆ドーム・平和記念資料館の視察を行いました。
 アメリカ軍が投下の照準点として狙ったと言われてる相生橋を通り、記念公園に入りました。記念公園では「平和の鐘」「原爆の子の像」「原爆供養塔」「平和の火」「原爆死没者慰霊碑」などを見学し、今も決して褪せることのない広島市民の思いを強く感じました。平和記念資料館では、原爆投下後の様々な状況が保管されており、戦争の残酷さを痛感させられました。
広島平和記念公園にて
原爆ドーム
広島平和記念公園にて
原爆ドーム
【2日目〜錦帯橋・海響館視察研修】
  二日目は、目的地であります岩国市の錦帯橋、下関市にある海響館の視察を行いました。錦帯橋の架け替え工事は、平成13年12月から着手され、第1,2,3期工事の3ヶ年となっており、最終的な完成が平成16年3月の予定です。視察に行った時は、2期工事で、高欄を組み立てていました。(河川の渇水時期のみの工事と言うことで、3ヶ年になる。)錦帯橋の構造といたしましては、全長で、193.3m5径間で、中央の3橋が木製のアーチ橋です。錦帯橋は、今から330年前の1673年に、第三代岩国藩主・吉川広嘉によって創建されました。それまで、架かっていた平坦な橋は、増水でたびたび流されてしまい「流失しない橋を架けたい」との思いから、中国の西湖遊覧志の石橋の絵図がヒントになっと言われています。
 錦帯橋は、創建された1673年の次の年に一度流され、同年の1674年に再建され、昭和25年の「キジヤ台風」で流失されるまで276年間は、全く流されていませんが、昭和26年の再建から、5年毎に健康診断的な強度試験(たわみ)を行い、昭和42年からは、木の腐食状況調査を実施し、平成5年の腐食調査で、腐食が進んでいるとの調査結果を踏まえ、平成7年に架け替えを行うことに決定したと言うことです。しかし、「名勝」の指定も受けいる錦帯橋を、闇雲に架け替えるだけでなく、平成8年に文化庁と協議を行った結果、諮問機関を設けて客観的意見を聞きながら、架け替えの方針を決定しすることとなり、平成9年に「岩国市錦帯橋修復検討委員会」を設立しました。技術的なものについては、その下部組織に専門部会に置いて、各大学の土木、建築、河川工学等の教授の方と、専門的な角度から、架け替えの規模を決定し、平成10年に架け替えの方針が決定されたと言うことです。
 下部工については、昭和26年に打設したコンクリートに、塩害やアルカリ骨材反応もないく、圧縮強度試験やコアを採取したところ、鉄筋も老朽化していなく、まだ、耐久性は、十分維持させると判断され、下部工は、また、次回と言うことになったそうです。錦帯橋の上部は無垢の木を使用しているため、長い時間をかけ、大変、厳しい用材選び行ったと言うことです。用材費は、12億7千万円で、410m3の用材を使用しており一般住宅で言うと、40、50軒分くらいの木材に当たるそうです。(5径間あるので、1径間35mで、1橋あたり2億5千万円位になる)
 錦帯橋は、設計図や竣工図などは残っていなく、「一子相伝」で引き継がれて来たと言うことです。なぜ、「一子相伝」だったかと言うと、錦帯橋が岩国城の城門橋的な役割をしていたため、その技術を簡単に外へは出せないと言うことで、門外不出で、師匠から弟子へ、親から子へ、と伝えることしか許されていなかったと言うことです。
 今回の約50年振りの架け替えは、昭和26年の再建の際に、RC製のピア(外見は創建時と同じ石積)にしたため、実際、土に触れる部分の桁が腐らなくなり、約50年間保てたそうです。そうすると、一子相伝がそこで途切れてしまうため、今回、岩国建築伝統協同組合として大工さんたちが、技術を伝承していくために、図面や記録を正確に残しているそうです。財源は、総事業費が26億円で、その26億の内訳は、12億7千万、約半額が、用材費だと言うことです。昭和41年4月から将来の架け替えに備えて、錦帯橋基金を設け、入橋料を徴収することとになり、架け替え工事が終了する平成15年度で、寄付金も含めて約20億円になるそうです。その20億円を財源として、文化庁と県の方から約3億の補助を見込み、そして残りの3億は起債で対応する計画だと言うことです。入橋料が、年間約1億位積み立てられてきていると言うことで、仮に3億円の起債で借金をしても約3年で返済できる事業計画を組んでいると言うことですから、市の一般財源は、全く入っておらず、26億円の内、約3億は、錦帯橋が自ら稼いだお金だと言うことで、錦帯橋は、岩国市にとって、「大変、出来の良い子供みたいなものだ」と市の職員の方が言っていたのがとても印象的でした。
 錦帯橋は釘を1本も使っていないと言う話がありますが、岩国城の城門的な役目をしていた錦帯橋は、どこかに仕掛けがあって、仕掛けを外せば橋が崩れ、敵が簡単に渡ることが出来ないと戒められていたため、それが言い伝えられて来たのではと言うことで した。平成16年、今年の3月はいよいよ完成の予定なので楽しみです。インターネットでもライブ中継をやっているので、皆さんも、一度、ご覧になって下さい。
錦帯橋高欄作業状況
錦帯橋高欄作業状況
錦帯橋高欄作業状況
【3日目〜福岡市内視察研修】
 博多祇園山笠の「櫛田神社」や「元寇資料館」、日本最古の梵鐘が残っている「観世音寺」、そして、「太宰府天満宮」を視察しました。太宰府天満宮は、学問の神様・菅原道真公を祀る全国天満宮の総本社であります。道真公は、この地で亡くなり、その墓の上に、本殿を造営したものです。ちょうど、訪れた2月25日が菅原道真公の命日で、沢山の人で賑わっていした。北海道でも、道真公が御祭神である錦山天満宮と言うところが、江別市の野幌にあるそうです。
 また、自由研修では福岡ドームのバックステージツアーを利用して視察を行いました。
太宰府天満宮にて
福岡市 であい橋
太宰府天満宮にて
福岡市 であい橋
【4日目〜大牟田リサイクル発電所視察研修】
  いよいよ最終日となり、「大牟田リサイクル発電所」の視察を行いました。
 「大牟田リサイクル発電所」は、大牟田エコタウンの中核的な施設として位置付けされており、経営には、福岡県、大牟田市など28市町村、そして、電源開発株式会社が出資し、第3セクターなどではなく、全くの独立した民間会社で、発電された電気は、九州電力に売却すると言うことです。
  「RDF」とは、家庭からでた可燃ごみ、生ゴミの50%の成分は水分だと言うことで、まず、乾燥させ、石灰を投入して圧縮成形したクレヨン状の「ごみ固形化燃料」のことです。なぜ、固形化にするかと言うと、乾燥させることにより、悪臭を発したり腐敗しないため、輸送や貯蔵がしやすいことが特長です。
 福岡、熊本県の28市町村が広域的にこの事業に参加し、7つの団体がRDFを製造して、「大牟田リサイクル発電所」に運んでいます。
 従来の、廃棄物焼却の熱を利用し、「副業」として発電を行う施設は数多くありますが、この発想を逆転させて、発電を「本業」にしたものです。平成14年12月に操業を開始したところですが、日本でも、本格的に「ごみ発電所」が完成し、風力発電や太陽光発電と並び国内総発電量の1つとして、大変注目を浴びている施設です。
大牟田リサイクル発電所
可燃ゴミより作られた固形燃料 「RDF」
大牟田リサイクル発電所
可燃ゴミより作られた固形燃料 「RDF」
最後に、研修を終えて、歴史を守ろうとする「錦帯橋の架け替え工事」そして、新しいことを行う「大牟田リサイクル発電所」、ある意味で対照的でありますが、共通点としていえることは、次世代へ繋げようとする人間の原点の様なものを感じました。
 今回は、事務局を加えて10名と少人数ではありましたが、参加して頂きありがとうございました。必ず、視察したものが自分の技術を向上させ、仕事に反映できるものだと思います。これからも、多数の参加をお願い申し上げます。
 また、今研修でご尽力を頂いた協会の皆様、そして、岩国市錦帯橋建設事務所並びに大牟田リサイクル発電所の職員の方々に、深く感謝申し上げます。
北見市都市建設部土木課
 道路第1担当 寒河江 克明


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